「死にたい…。」
乱れた黒いシーツの上。
今日もまた、ヒロの腕の中で呟く。あたしの口癖。
ヒロが幼い子供をあやすかのように、私の頭をなでる。
咽返るような香水のかおり。暗い部屋。私は昼間でもカーテンを開けることを好まない。
醜い自分の身体なんか見たくないから。
「そんなに死にたいなら、俺が殺してあげようか?」
小悪魔のような笑みで魅せるヒロ。私の好きな人。
「そうね、そうしてちょうだい。」
けだるそうに答えるあたし。少しだけ微笑みながら。
ヒロがあたしにまたがる。傷んだ金髪が目にかかって邪魔そう。
沢山のタトゥーが刻まれた腕があたしの首に伸びる。
ヒロの手に力が入るとき、あたしは苦しさの中で自分が今生きてる事を実感する。
緩められた手の力が、あたしを現実に引き戻した。穏やかな二つの呼吸。
そして二人は笑い合い、見つめ合い、抱き合う。
それぞれ、相手を想う言葉を囁きながら。
あたし達はいつもこんな事をしていた。遊びに夢中になる子供のように。
ヒロがベッドから這い出してカーテンを開ける。眩しい。あたしの醜い身体を照らし出す光。
あたしの白い腕には無数の赤い切り傷。ヒロの細い腕には沢山のタトゥー。
あたしは自分が嫌い。自分の存在が分からない。
リストカットは自分の存在を確認するとき。
「カーテン閉めて、こっち来て。」
ヒロはかわいい。すぐにあたしの言う事を聞いてくれる。年下のヒロ。
くしゃくしゃのシーツを直すことはしない。そうしてあたし達は抱き合い、無言の時を過ごす。
あたし達に多くの言葉は必要ない。たまにあたしの「死にたい。」が響くだけ。
白い肌に浮かぶ赤い線をなぞりながらヒロは言う。”キレイ”だと。
別に本気で死にたい訳でもないのに、死にたいと繰り返すあたし。
ヒロもそれに気づいている。幼いあたし達。
部屋が暗くて時計の針が見えない。ただカチコチ単調な音が響くだけ。
締め切った部屋の中で、あたし達に時間の感覚なんて必要無いから。
そんなだったあたし達二人。あれから3年が経った。
3年前、ヒロが交通事故で亡くなったとき、あたしは発狂しそうだった。
精神科に通院し、カウンセリングを受け続けながらも毎日泣いていた。
腕の傷は増える一方で、薬の過剰摂取をして本当に死んでしまおうと思った事もあった。
そんなとき、お腹の中にヒロの子供がいることが分かった。
あたしは生む事を決心した。生まなきゃって思った。
そのときから、オーバードーズはもちろん、リストカットもピタリと辞める事ができた。
あたしの中の何かが変わりはじめたんだ。
そして今、あたしの隣には娘がいる。無邪気に笑う、ヒロの、あたし達の子供が。
「ほら、この子の目、あんたにそっくりでしょ。あたし、もう死にたいだなんて全然言ってないんだよ。
えらいでしょ。昔みたいに、頭なでてくれないかなぁ。ねぇヒロ。」
あたしはヒロのお墓の前で、精一杯の笑顔で言った。
昔のあたしだったら、ヒロにこんな笑顔見せてあげられなかったね。
今でも時々思い出す。そしてたまらなく恋しくなる。
咽返るような香水のかおりと、暗い部屋と、ヒロの声、首に残る指の感覚、暖かさ、そして時計の音。
「ヒロに出遭えて、本当に良かったよ。」
あたしは涙を浮かべた。昔は必要無いと思っていた時間の感覚。
今では時間に感謝している。時間が傷を癒してくれたから。
半袖の洋服からスラリと伸びたあたしの腕には、薄茶色いシミのような傷跡が多数残っている。
この傷跡は、ヒロと過ごした時間の証。
苦痛を感じることで生きてる事を実感する必要は、もう無い。
ヒロと共に生きてきた時間。これからこの子と共に生きていく時間。
どちらも大事。でもこれからの方がもっと大事。
生きて生きて
この子と生きていくことが、あたしの「生きている」という実感になるように。
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